適切な謝罪は信用獲得に繋がる

はじめに

「謝罪は好きか?」という問いに対して肯定できる人はほとんどいないと思います。謝罪は難しく、多くの人は謝罪しなくて済むのであれば良いと考えるでしょう。

「避けるべきもの」である印象が強いため、謝罪は焦点が当たりにくいテーマです。今回はそんな謝罪に焦点を当てて、謝罪がコミュニケーションにおいて重要な役割を示すツールであることを提示したいと思います。

本記事では主に仕事におけるコミュニケーションとしての謝罪を扱います。また、本記事は謝罪の考え方に焦点を当てていて、具体的な謝罪の例は扱いません。謝罪について深く学びたい場合は以下の本をオススメします*1。以下、本記事では参考書籍という記載はこの書籍を指すものとします。

謝罪に対する私見

私は謝罪は「後手必敗」だと考えています。後手必敗は"先手必勝"を元にした造語です。

後手必敗

謝罪が後手必敗だと考えているのは「(謝罪が必要な)問題を相手に先に指摘されることによって、関係悪化に繋がりやすい」からです。具体的には以下のようなことが挙げられます。

  • こちらが問題を隠している、と相手にみなされる
  • こちらが問題を軽視している、と相手にみなされる
  • こちらに「相手に指摘されるような問題」を起こしている、という落ち度がある

謝罪が後手に回ることで関係は悪化しやすくなり、悪化した関係を正常に戻すことは困難です。そのことから、謝罪が後手に回ることは、物事を進める難易度を必敗といえるほど難しくするものだと考えています。

先手必勝?

では、謝罪は「先手必勝」なのか、というと必ずしもそうではないと考えます。謝罪を受け入れるかを決めるのは相手であり、こちらでは制御困難だからです。

ただし、先手を取って謝罪する利点は多くあります。具体的には以下のようなことが挙げられます。

  • 問題を早めに共有できることにより、対処が容易になる
  • 相手の成果に対する期待値が過度に高まりすぎることを抑え、現実に近づけやすくなる
  • 問題を隠すことに労力を割かないため、こちらが本来考えるべきことに注力できる

先手の利点と後手の欠点とを並べて見ると、物事を円滑に進めるには(リスクを最小限に抑えるために)謝罪は先手を取る必要がある、と私は考えています。

謝罪とは何か

デジタル大辞泉では「謝罪」は「罪や過ちをわびること」とありますが、参考書籍ではより具体的に以下のように定義しています。この定義は具体的な謝罪の方法に繋がるのですが、本記事ではその方法には言及しません。

謝罪とは、加害行為や抗議内容に対する責任を認め、直接的かつ主体的な態度で曖昧を残さずに悔悟の念を表明し、挽回の方法を提示して、繰り返さないと約束することである。

参考書籍では謝罪の効果として「傷ついた人間関係の治療」を挙げています。それに伴って、私にとって印象的だったのは以下の一文でした。

加害者のせいで傾いた関係のバランスを取り戻すという意味で、謝罪は取引だ。

謝罪は「謝罪と許しを交換する」取引だとしています。

謝罪は取引

「取引」は言葉として淡泊な印象があるかもしれませんが、私たちは日常的に多くの取引を行っています。また、取引したことで新しいことができるようになるなど、取引には転換力があります。参考書籍でも適切な謝罪には転換力があり、壊れた関係を変化させて新しい可能性が広がることが述べられています。

信用力

謝罪の取引としての性質に対して、私は金融の「信用力」との類似性を感じています。

「信用力」とは(お金を貸す側から見た時の)借金をきちんと返してくれそうかという信頼度合いを指します*2

関係性を壊すことが「借金」、相手から許しを得ることが「返済」に相当すると思います。やりとりするものは「お金」ではなく「信頼」が該当するでしょうか。デジタル大辞泉では信頼と信用は以下のように定義されています。

  • 信頼 … 信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。
  • 信用 ... それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。また、世間が与える、そのような評価。

信頼と信用の違いを「主観的なもの」か「実績に基づくもの」か、で表すこと*3もあります。

謝罪によって信用を得る

謝罪と信用力の類似性が見えると、望ましい謝罪の在り方も見えたような気がします。

金融における信用力を示す手段として「お金を借りて、返す」ことが挙げられます。お金を貸す側にとって、初めてお金を借りる人はちゃんと返せるかが分からないので大金を貸すのはリスクが大きいと考えます。対して、何度もお金を借りて返却している人には大きな金額を貸しても大丈夫だと考えるでしょう。

謝罪でも同様のことがいえると思います。人間関係においても「謝罪をしたことがない人」と「適切な謝罪ができる人」では後者の方が信用できる人物だと判断されやすいのではないか、と考えます。

謝罪をする機会はあるか

適切な謝罪には利点が多いといえますが、何も起きていない平時にいきなり謝罪をすることはまずありません。謝罪の定義に「加害行為や抗議内容に対する責任を認め、」とあるとおり、何かしら謝罪すべき問題が起こって初めて謝罪をする機会が生まれます。

謝罪の機会はそんなに頻繁に起こり得るでしょうか。私は起こり得ると考えています。なぜなら、人は失敗するからです。大なり小なり、人は活動をすると失敗しますし、そのなかには以下のように他者への不利益に繋がるものも含まれます。

  • 会議に遅刻して、相手の時間を削った
  • 情報を伝えるのが遅れて、相手の余裕を削った
  • 表現が曖昧であり、相手に誤解を与えた

謝罪は必ずしも大がかりなものである必要はありません。日常的な失敗であれば、日常的な謝罪をすればいいでしょう。軽度な謝罪の機会を無視すれば相手の不満は蓄積しやすく、対して軽度な謝罪を繰り返すことは相手にとって信用を感じる機会になると思います。参考書籍で引用されていたキャロリン・ハックス*4の表現を以下に記載します。

本当に優れた人間の定義とは、完璧であることではなく、愚かなふるまいを自覚し、生んでしまった惨状の対処に最善を尽くせることなのです

おわりに

参考書籍での謝罪における特徴的な文を以下に記載します。

謝罪を最後の手段ではなく、最初の手段ととらえれば、リーダーや組織は確実に得をする。

謝罪に向き合うことで、適切な謝罪を実施できれば、これまで難しいと感じていた問題も突破口が見えてくるかもしれません。特に人間関係に悩んでいる人にこそ、謝罪について向き合ってみることをオススメします。

参考書籍には効果的な謝罪に必要な要素や謝罪の難しさに対しての言及があります。本記事では表現しきれませんでしたが、興味があれば読んでみてください。

*1:絶版本なのですが、他に謝罪を扱った本を知らないのでご存じの方がいたら教えていただけると嬉しいです。

*2:新版 金融の基本 この1冊ですべてわかる

*3:「信用」と「信頼」の意味の違いとは?使用例や類語・英語表現も | TRANS.Biz

*4:人生相談のコラムニスト