はじめに
システム開発の現場では、自身の意見を伝えたり、出会った現象を伝えるために「言語化」が求められます。とくにソフトウェアテストにおいて、違和感に出会ったときの感覚を他者に伝えるために「言語化」が必要だと考えています。
ただし、「言語化」はよく使われる言葉ではありますが、その使われ方は多岐にわたるため、同じ「言語化」という言葉が、異なる範囲を指して使われることで、認識ずれが発生する場合があります。
本記事では、「言語化」の区分について考察することで、多様な言語化についてより意識的に扱えるようにしたいと考えています。
「言語化」の定義とフェーズ
辞書では、言語化は次のように説明されています。
言葉で表現すること。特に、思想や知識などを他者に説明したり共有したりするために、言葉を用いて説明すること。——『デジタル大辞泉』*1
言語化という言葉の意味は汎用的で、字面以上の意味はありません。
ソフトウェア開発の文脈では、思想や知識だけでなく、気づきを言葉で表現することも含まれる場合があります。本記事では、「感覚×論理」軸と「内部×外部」軸で以下の4象限を作成して、自身が行う言語化に対する整理を行います。この中で、「感覚×外部」は他者へ踏み込んだ行為になるため、本記事では対象外とします。ただし、この象限へ間接的に働きかける経路はあります。これは後半で扱います。

- フェーズ1:感覚×内部:気づきの言語化:状況の整理
- フェーズ2:論理×内部:構造の言語化:気づきの深化
- フェーズ3:論理×外部:論理の言語化:他者への伝達
- フェーズ4:感覚×外部(対象外)
対象とする3つの象限は、順に進むフェーズとして捉えられます。言葉にする対象はフェーズごとに異なります。フェーズ1では気づきそのものを、フェーズ2では気づきの周囲にある構造を言葉にします。フェーズ3で言葉にするのは、理解を支える筋道——論理です。内部で得た理解そのものは他者に渡せないため、論理を言葉にして渡し、受け手はそれをもとに自分の理解を組み立てます。3つのフェーズは、それぞれ着目する問いと、言語化の対象と、やり方が異なります。「言語化が大事」と言うとき、人によって指しているのは、このうちの異なるフェーズかもしれません。また、言語化する前の気づきは「何かある」という漠然とした感覚にすぎず、放っておけばそのまま消えてしまいます。消える前につかまえて言葉にすることが、すべてのフェーズの出発点です。以下、フェーズごとに順に見ていきます。
フェーズ1:状況の整理
状況の整理は、感覚×内部に位置する、気づきの言語化です。「何を感じ、そのとき何が起こっていたか」という問いに着目します。入り口は自分の感覚です。まず「気になった」という感覚そのものを言葉にし、そこから、そのとき何が起こっていたのかという状況の記述へ広げていきます。
気づきを言葉にしようとすると、「何が」「どうなっているから」気になるのかを特定する必要に迫られます。言葉は曖昧なままでは並べられないので、言語化の過程で自然と状況が整理されていきます。
逆にいえば、言葉にできないということは、まだ状況を把握しきれていないというシグナルでもあります。うまく言語化できない箇所こそ、理解が足りていない箇所です。言語化は、自分の理解度を測る物差しとしても機能します。
フェーズ1のやり方は、「自覚すること」です。何か違和感があったとき、「結果の値が少しずれている」「出力のタイミングが若干遅い」のように、できるだけ言葉で表現するよう努めます。この時点で、正しい必要はありません。「自分は何があって引っかかりを感じたのか」を自覚することが、言語化の第一歩です。
フェーズ2:気づきの深化
気づきの深化は、論理×内部に位置する、構造の言語化です。「なぜそう感じたのか」という問いに着目します。自分の感覚が何の影響を受けて生じたのかを表現するところから始まり、探索は事象の側へ広がっていきます。感覚の原因をたどることは、その感覚を生んだ事象の構造——挙動の条件、仕様のつながり、変更の履歴——をたどることでもあるからです。
言葉にした気づきは、検討の対象になります。「この表現で合っているか」「本当にそうか」「他のケースではどうか」と、言葉を足がかりに考えを進められるようになります。
漠然とした感覚のままでは、深めようにも取っかかりがありません。言語化によって気づきが固定されるからこそ、そこを起点に問いを重ねられます。最初は的外れな言葉であっても構いません。言葉にしてみて「違うな」と感じたら、その「違うな」がまた次の言語化の材料になります。言語化と検討を往復するうちに、気づきは最初の漠然とした感覚よりもずっと具体的で深いものになっていきます。
フェーズ2のやり方は、「要因に対して仮説を立てること」です。「値がずれているのは、このパラメータが現状と合っていないからではないか」「出力のタイミングが遅いのは、負荷の高い処理が並列で走っているからではないか」——論理のつながりがある仮説を置いてみます。重要なのは、事実と仮説を分けて扱うことです。仮説が誤っていたり、論理がつながらなかったりしたときは、訂正して別の要因を考えます。この訂正の繰り返しが、先ほど述べた「言語化と検討の往復」にあたります。
フェーズ3:他者への伝達
他者への伝達は、論理×外部に位置する、論理の言語化です。「どう伝わるか」という問いに着目します。フェーズ1・2が自分の中で完結するのに対し、こちらは受け手の存在を前提とします。ここで言葉にするのは、内部で得た理解そのものではなく、理解を支える筋道——論理です。
言葉になった気づきは、他の人に渡せます。当たり前のようですが、これは大きな働きです。
自分ひとりの観察には限界があります。気づきを言葉にして共有すれば、同僚の知識や経験と突き合わせることができます。「それ、こっちでも見たことがある」「その動き、この修正と関係あるかも」といった反応が返ってくれば、ひとりでは到達できなかった結論にたどり着けます。
また、伝達には副次的な働きもあります。自分の理解は、受け手に伝わる表現を探す過程で磨かれます。人に説明しようとすると、整理と深化がさらに進むのです。説明する相手がいることで、言語化の質そのものが上がります。
フェーズ3のやり方は、「受け手の知識ギャップを順番に埋めていくこと」です。説明というと、自分が体験した順——時系列——で話したくなりますが、受け手に必要なのは体験の再現ではなく、理解に足りない知識が順に埋まっていくことです。まず全体像を渡し、そこから段階的に詳細化していくようにすると、受け手が理解しやすくなります。受け手の中の「わからない」が順に解消されていく順序で話すことが、伝わる説明の骨格になります。品質保証の文脈でいえば、不具合報告がまさにこれです。「何が起きるか」という結論を最初に渡し、影響範囲、再現条件、調査の詳細へと段階的に詳細化する。自分が調べた順には書かない、が肝になります。
言語化は感覚と論理の橋渡し
ここまでの3つのフェーズを眺めると、言語化のもうひとつの働きが見えてきます。
感覚と論理は、性質の異なる能力です。感覚は速く、違和感のようなかすかな兆候を捉えられますが、そのままでは漠然としています。論理は明晰で、検討や伝達に向いていますが、言葉になったものしか扱えません。性質が異なるため、感覚が捉えたものは、そのままでは論理に接続しません。
この2つをつなげるのが言葉です。言葉は、感覚に触れる面(「ん?」、オノマトペ、比喩)と、論理に接続する面(定義、条件、命題)を併せ持っています。両方に触れられるものが仲立ちすることで、性質が異なるためにそのままでは混ざらない2つがつながります*2。
感覚と論理は、どちらか一方を選ぶ能力ではなく、働きが異なる、共存すべき能力です。言語化が両者をつなぐことで、感覚が捉えたものを論理で検討し、他者に届けられるようになります。感覚と論理の接続のかたちも、言葉にする対象によって異なると考えています。定義の節で示した4象限の上に、想定する接続を表現します。

3つのフェーズは、この4象限を進む流れとして描けます。状況の整理は、感覚×内部を起点とする言語化です。「何を感じたか」を言葉にすることで、気づきは論理×内部へ運ばれます。気づきの深化は、論理×内部での言語化です。言葉を足がかりに「なぜそう感じたのか」を問い、構造をたどります。他者への伝達は、論理×外部へ向けた言語化です。受け手に伝わる表現へ磨くことで、理解が自分の外へ渡ります。
残るひとつが、定義の節で対象外としたフェーズ4——感覚×外部、他者の感覚です。他者の感覚そのものを直接作り出すことはできません。感覚は本人の中でしか生じないからです。それでも、そこへ働きかけることはできます。その経路は2つあります。
ひとつは、感覚的な表現による直接の経路です。感嘆の声、表情、勢いのある言葉——論理を介さずに感覚を伝えることは可能で、日常的な表現としてはむしろこちらが頻繁に起こります。ただしこの経路は、何がどう伝わるかを制御しにくく、受け手の解釈に大きく依存します。また、その場のコンテキストや、ボディランゲージのような言語以外の要素に支えられているため、表現はその場限りになりやすく、届く範囲は場を共有する少人数にとどまります。
もうひとつが、整理→深化→伝達と論理を経由する経路です。こちらは手間がかかるかわりに、意図した内容を保ったまま届けられます。コンテキストへの依存を言語化の過程で削ぎ落としていくため、言語のみの表現でも伝わりやすくなり、伝わりやすさが時間や状況に左右されにくくなります。その結果、少人数のコミュニケーションで機能するのはもちろん、場や時間を共有しない不特定多数——マスコミュニケーション——にまで届きます。ブログ記事はその実例です。書かれた場に居合わせていない読み手に、時間を置いて届くことを前提とした表現だからです。言葉になった気づきが受け手に渡ると、受け手の中で新たな気づきや違和感が生まれる可能性が上がります。これが、フェーズ3からフェーズ4への遷移です。自分では実行できない最後のフェーズは、受け手の中で起こります。言語化の流れは、他者の感覚へ、狙いを持って、より遠くまで働きかけるための経路なのです。
なお、この4象限は、野中郁次郎らのSECIモデル*3を想起させるかもしれません。場の共有を前提に暗黙知を直接伝える共同化は直接経路に、暗黙知を形式知へ変換する表出化は言語化そのものに、形式知が文書などを通じて広く伝わる連結化は論理経由の到達範囲に、形式知が受け手の中で暗黙知として身につく内面化は「受け手の感覚が動く」ことに、それぞれ重なります。違いは視点です。SECIモデルが組織の知識創造プロセスを説明する理論であるのに対し、本記事は個人の言語化という行為を、感覚×論理・内部×外部の状態空間の上の流れとして描いています。
言語化を鍛える
これらの言語化を鍛える機会は、業務に限りません。日常にも、言語化の機会は多く訪れます。例えば、映画やコミックをはじめとした娯楽コンテンツに触れたとき、受けた感情を言語化することでも鍛えることができます。感情も、本記事でいう「感覚」の一種です。内側で生じ、言葉になる前は「面白かった」「なんか好き」といった漠然とした状態にとどまります。
言語化を鍛える利点は、3つ挙げられます。
1つめは、気づきの感度が上がることです。「何を感じたか」を言葉にする訓練を重ねると、気づきを自覚しやすくなり、具体化しやすくなります。これはフェーズ1(感覚×内部に位置する、気づきの言語化)の訓練にあたります。
2つめは、良し悪しの判断基準が磨かれることです。これには内向きと外向きの両輪があります。内向きには、「なぜそう感じたのか」を言葉にするうちに、自分の判断基準が精緻になっていきます(フェーズ2、論理×内部)。外向きには、言葉になった基準は他者と突き合わせられるため、他者が共感できる判断基準として構築しやすくなります。
3つめは、共感してもらいやすくなることです。自分が受けた感覚や感情を表現することで、他者がそれを理解し、共感しやすくなります(フェーズ3)。共感とは、言葉が相手の感覚を動かすことにほかなりません。つまりこれは、言語化の流れを経た働きかけが、フェーズ4——感覚×外部に届いた状態です。先ほどの4象限図に共感を書き込むと、この位置づけがはっきりします。

言語化の制限
言語化がどれほどうまくいったとしても、すべての感覚を過不足なく表現することはできません。言葉にできた部分の外側には、言葉にならなかった感覚が必ず残ります。
ただし、すべてを言語化できないことは言語化の価値を損なうものではありません。むしろ、やり方の指針になります。すべてを表現できない以上、言語化は必ず取捨選択を伴います。ならば、無自覚に零れ落ちるに任せるのではなく、自覚的に選ぶほうが自身の納得につながります。感覚の正体が掴めてきたら、言語化したい感覚、伝えたい感覚を選択して、そこに集中して整理する。全部を言葉にしようとするより、選んだものを丁寧に言葉にするほうが、期待通りの言語化は実現しやすくなります。
おわりに
「言語化」を4つのフェーズに区分してみました。システム開発の仕事では、明確な不具合になる前の、かすかな違和感に出会う場面が数多くあります。その違和感を言葉にできれば、検討できるようになり、チームに渡せるようになります。言語化を深めることは、不具合への感度を自分とチームの両方で高めることにつながると考えています。
言葉にならない「ん?」を感じたら、まず言葉にしてみる。そこから始めてみてはいかがでしょうか。
*1:「言語化」『デジタル大辞泉』(小学館)。 https://kotobank.jp/word/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%8C%96-3241569
*2:マヨネーズにおける酢と油に対する卵黄(乳化剤)と同じ構造です。卵黄は、酢(水分)になじむ面と油になじむ面を併せ持つため、そのままでは混ざらない両者の仲立ちができます。
*3:野中郁次郎・竹内弘高『知識創造企業』(東洋経済新報社)。SECIモデルの概説は https://ja.wikipedia.org/wiki/SECI%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB など。































